top of page

唐長の歴史

​

創業1 6 2 4 年 寛永元年

元々御所に関わる武士だったが初代が刀を置き 職人の道にすすむ

本阿弥光悦と俵屋宗達が主宰する京都鷹峯の光悦芸術村の出版事業に参加し嵯峨

本の唐紙作りに携わる。以後、唐長は琳派の流れを受け継ぎ特徴的な美意識が今に続く。

​

 

​

十二代 千田優希(旧名 誠次)

​

18歳から唐紙制作に携わリ 京都迎賓館の磨紙制作など中心的に携わり高い評価を得る。

若くして唐紙の世界に入ったおかげで、唐紙に関係する様々な分野にチャレンジしてきた。

唐紙制作に欠かせない板木を彫ること独学で習得する。

関西に限らず全国各地の寺院をはじめ歴史的建造物から一般住宅に至るまで

自身の作った唐紙を施工する技術を独学で習得する。

屏風、アートパネルの企画提案から制作施工まで幅広く制作する。

二級建築士でもあり、インテリア小物から建築プロデュースまで幅広く提案する。

近年実例は桂離宮月波楼、二条城本丸御殿

​

​

​

十一代 千田堅吉

​

大学卒業後、化学商社に5年間勤務して唐長を継いだ異色のプロフィールを持つ。

今も現役で日々仕事に励んでいるが 商社時代の経験と身に付けた独特の色彩感覚を

生かして「その人のために唐紙を作る」をモットーに50年間を当主として仕事に励んで来た。

同時に唐長ブランドを全国に広める努力をし、成果をあげてきた。

先代に続いて桂離宮の唐紙復元修理 二条城等文化財修理に携わり 多くの寺院 三千家の茶室 

住宅 ホテル等の商空間等幅広く唐紙の普及に努めた。

功労で旭日双光章と国の選定保存技術保持者にも認定される。

後継者にも恵まれ、長男は12代目を次ぐ。

娘夫婦は新たに異素材への唐紙文様の展開

アート作品など唐紙の新分野を広げている。

​

​

​

十代 千田長次郎 1996年 平成8年没

​

色彩感党に優れ、緻密な技術で桂離宮を始め、修学院離宮など多くの文化財の仕事に携わった

1965年に美術出版社より「京からかみ集」が出版され 十代目の個性が

ふんだんに表現されて 高い評価を得た。

この京からかみ集は今も唐紙制作に欠かせないバイブルになっている。

功労で黄綬褒章の受章と国の選定技術保持者にも認定された。

​

​

​

九代 千田廣次 1947年 昭和22年没

​

卓越した唐紙技術を持ち 同時に優れたビジネスセンスも持ち合わせて多くの顧客を得て

職商人の唐長を確立させた。

今も使っている大正時代以降の板木は殆どを9 代目が彫ったもの。

異業種交流を積極的に広げ 西陣織の技法を参考に漆技術と金箔 銀箔技術を身につけ唐紙の技法を広げた。

​

​

​

八代 千田長右衛門 1930年 昭和5年没

​

万国博覧会に銀箔もみ紙を発案出品し受賞する。

他、柿渋染め等、新しい技法を数多く生み出したアイデアマンであった。

​

​

​

七代 千田長右衛門 1883年 明治16年没

​

1864年の蛤御門の変で火災を免れるために防火に苦心したと過去帖の日記にある。

明治時代初期 唐長の唐紙がコレクションとしてイギリスに渡り 今も王立キューガーデンミュージアムに

多くの唐長の唐紙が保存されていることが最近になって確認することができた。

​

​

六代 千田長右衛門 1832年 天保3年没

​

​

五代 千田長右衛門 1807年 文化4年没

​

1788年の天明の大火で全板木を消失し 唐長存亡の危機にあうが一時 副業でしのいで

徐々に板木を彫リ直し 唐長を復活させた。

今も現役で使っている江戸時代の唐紙板木の大半はその当時のもので

例えば「陰日向九曜紋」は1791年彫の記録がある。

​

​

四代 千田長右衛門 1742年 寛保2年没

​

​

三代 千田長右衛門 1725年 享保10年没

​

​

二代 千田長右衛門 1679年延宝7年没

​

​

初代 千田長右衛門 1687年貞享4年没

​

​​​

bottom of page